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京都地方裁判所 昭和37年(わ)1732号 判決

被告人 金永祚

昭三・一〇・一一生 自動車運転者

主文

被告人を懲役弐月に処する。

但しこの裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

本件公訴事実中業務上過失致死の点は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三十七年十二月二十三日午前九時十五分頃、大型貨物自動車(滋一す三七八五号)を運転し時速約四十粁で京都市伏見区桃山町泰長老百十番地先通称山科街道を東進中同街道を対向して来る細野幸晃(当時四十九年)の運転する第一種原動機付自転車前部と自車の左後輪附近とを激突せしめて同人を右自転車諸共その場に転倒させ、因て同人に対し脳底骨折、内臓破裂等の傷害を与えたものであるが、

第一、右交通事故により人に傷害を負わせたかも知れないとの認識を有しながら、直ちに負傷者の救護その他道路における危険防止等法令に定める措置を講ぜず

第二、右交通事故の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は道路交通法第百十七条、第七十二条第一項前段に、判示第二の所為は同法第百十九条第一項第十号、第七十二条第一項後段にそれぞれ該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により重い判示第一の罪に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役弐月に処し、情状により同法第二十五条第一項を適用してこの裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(一部無罪の理由)

本件公訴事実中業務上過失致死の点は、

被告人は、自動車運転者であるが、昭和三十七年十二月二十三日午前九時十五分頃、大型貨物自動車(滋一す三七八五号)を運転して時速約四十粁で京都市伏見区桃山町泰長老百十番地先通称山科街道を東進中進路前方約二十七米の地点右街道中央附近を時速約四十粁で第一種原動機付自転車に乗つて下向きで疾走して来る細野幸晃(当時四十九年)を発見したが、かかる場合被告人としては多少の間隔を保つて右細野と離合し得る状態にあつたとしても同人において至近距離に迫つて初めて対向車に気付きその緊迫した事態に狼狽のあまり把手の操作を誤る危険が多分にあつたのであるからこれに備え直ちに減速徐行すると共に把手を左に切り充分な間隔をとつて進行し以つて事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず之を怠り、このまま進行を続けても何等の危険もなく離合し得るものと軽信し漫然と運転を継続した過失により同人との距離約十二米に至つて同人が顔をあげ被告人の車の接近に気付き狼狽のあまり自車の進路前方によろめいたため急拠把手を右に切つたが及ばず自車の左後輪附近を右自転車の前部に激突させてその場に同人を自転車諸共転倒させて脳底骨折、内臓破裂等の傷害を与え因つて同人をして同日午前十時二十五分頃同区下油掛町百六十七番地大橋病院において前記傷害により死亡せしめたものである。

というにあり、

前段掲記の各証拠及び司法巡査及び司法警察員各作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書を綜合すれば、被告人は、昭和三十七年十二月二十三日午前九時十五分頃、大型貨物自動車(滋一す三七八五号)運転して時速約四十粁で京都市伏見区桃山町泰長老百十番地先通称山科街道を東進中、前方約百二十米の地点を対向して来る細野幸晃(当時四十九年)の運転する第一種原動機付自転車を認め、次で前方約二十七米に近接するに及んで同人が俯き加減で道路中央附近を時速約四十粁で進行して来るのを認めたが同人とは充分の間隔を保つて離合し得ると考えてそのまま進行を継続した所、同人との距離約十二米に接近した際、同人が急に顔を上げると共に被告人の進路前方に進入して来た為急拠把手を右に切つたが及ばず同人の右自転車前部を自車の左前フエンダーに接触させ更に左後輪附近と激突させて同人を自転車諸共その場に転倒させ因つて同人に対し脳底骨折内臓破裂等の傷害を与え、同日午前十時二十五分頃大橋病院において右傷害により同人を死亡させた事実を認めることが出来る(尤も司法巡査作成の第一回実況見分調書、証人石黒義男の当公判廷における供述、同人の司法巡査に対する供述調書によれば、北側非舖装部分に転倒した被害車輛の傍の舖装部分上に進行中の車輛のスリツプ痕が残つていたこと、右石黒の司法巡査に対する供述調書によれば、転倒した被害車輛の右折方向指示燈が点滅していたこと、および被告人車が右石黒の家の前の辺りを通過した際には、被告人車は舖装部分北端から一間程中央に寄つた舖装部分上を走行していたことが推認され、以上の各証拠からすれば被害者細野の行動及び被告人の運転状況が被告人の供述乃至指示説明の通りであつたか否か疑問の余地はあるが、他に何らの証拠もないので一応これによつて事実を認定する。)

そこで本件事故につき被告人に過失があつたか否かを判断する当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、両車輛は共に前記道路舖装部分上を時速約四十粁で走行し、被告人が最初に被害車輛を発見した時には両車輛相互間の距離は約百二十米離れていたものであり、ついで被告人が俯き加減で車輛を運転して来る被害者細野を発見した時には被告人車は北側の非舖装部分と舖装部分の境界線から被告人車の右端までが二、六五米の間隔を保つた位置を走行し、被害車輛は被告人の前方約二十七米で南側の非舖装部分と舖装部分との境界線から三、三米の間隔を保つた位置を走行していたものであつて、舖装部分の幅員は七、一米あつたのであるから、両車輛がそのまま方向を変えずに進行を継続すれば一、二五米以上の間隔を保つて離合し得る位置にあつたところ、被告人が車輛を運転して来る被害者の姿勢が俯き加減であることを発見した時から一瞬間後に被害者がその運転車輛の方向を急に変えて被告人の進路前方に進入してきた為同車と衝突したことが認められる。

ところで右各証拠によれば、本件事故当時、事故現場附近は、南北両側に各々幅員三、九米の非舖装部分を有し前記の如く中央に幅員七、一米の舖装部分(アスフアルト舖装)を有する道路が東西に直線状に通じて居り、右道路上には視界の障害となる物はなく、明るく、見透しは良好であり、また天候は晴、風速は静穏気温は四、五度(以上気象については京都気象台長作成の「気象状況調査について」と題する回答書による)であり、事故現場附近の路面が一面に濡れていたほか、交通量も被告人車と被害車輛の外には附近を走行する車輛はなく歩行する人影も認められなかつたことが認められ、以上を綜合すると被告人、被害者双方車輛の運行に支障を来たす特別の事情が存在したとは認められない。

而して本件事故においては、被害車輛は、突然被告人車の前面に進入して来たその直前まで、蛇行その他特に異常な走行状態にあつたと認められるのであれば格別、被告人車と接触しないだけの間隔を保ち道路中央附近ではあるが被害車輛にとつて左側を確保して来ていたものであるから、通常は其の後も直進を継続する蓋然性があると認めるのが一般であること、また被害者が俯き加減で運転していたものであつても、寒中風防のない自転車を走行させるときその運転者は俯き加減の姿勢をとるが、その際、通常運転者は下方のみを見つめて居るわけではなく、進行方向を注視することを怠らないものであることは経験上知り得るところであつて、本件被害者も斯かる状態で第一種原動機付自転車を運転していたものと推認され、従つて迫り来る被告人車に狼狽して運転操作を誤る可能性が大であつたとは認められないことから、被害車輛が被告人車の前面に突然進入して来たことは被告人に予見することを期待し得べき事態ではなかつたと認め得る。

また仮りに被害者が顔を上げて接近する被告人車に狼狽し運転操作を誤つて被告人車の前面に進入して来る蓋然性があるとし、従つて一般に自動車運転者に斯かる事態を予見すべきことを期待し得るものであり且つ被害者の運転姿勢が俯き加減であることを発見した時に直ちに被告人車を減速徐行させ進行方向を左に転じて被害車輛との間隔をとるべき避譲義務があるものとした場合でも、被告人が被害者の運転姿勢が俯き加減であることを発見した時は、被告人車から被害車輛までの距離は約二十七米であり双方車輛の速力はいずれも時速約四十粁であつて、被告人が減速及び左方転向を同時に行つたとしても、次の瞬間の被害車輛の被告人車前面への進入によつて、事故は免れ難かつたものと認められるので、被告人が、仮令斯かる被害車輛の動行を予見すべき義務に違反し、従つて被告人車の徐行、左方転向を行わなかつたとしても被告人に過失ありと認めることは出来ない。

以上のとおり、被害者の行動が被告人の供述どおりであるとする限り、被告人には本件事故につき過失ありと認めることはできないので、本件公訴事実中業務上過失致死の点については結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三百三十六条によりその点につき無罪の言渡をするものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 今富滋)

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